最近,

Twitterで思いがけず、自殺されたと思われる方の最期のつぶやきを拝見したり、

強盗に襲われて逆に捕まえたという方の臨場感あふれるツイートにびっくりして。

 

ツイートの力について考えています。

 

私自身はTwitterを頻繁にみているわけではありません。

ブログ更新のおしらせ、観劇した時の感動や周りの出来事、をつぶやくぐらい。

フォロワーも多くないし。フォローもそこそこ。

だいたいTwitterは語数が少ないと感じてしまいます。

コンパクトに主張したいときはそれでいいのかもしれませんが。

 

自分の主張を、言ってみれば世界に向かって呟くことができる、というのは素敵なことだと思います。

こういうツールがないよりはあったほうがいい。

Instagram、LINE、facebook

いろんな手段が択べて発信できるのはいいことです。

私もアカウントは一通りもっています。

誰かに何か言い残したいときには、そうするかもしれません。

 

ただねえ、ネットの世界というのは

現実と連動していても「現実」そのものではない。

個人の感想や意見であって、その個人のフィルターを通した「現実」であったりするわけです。

 

個人の目を通した「現実」は個人の数だけあって、

一方、客観的な現実とは何か、といえば、これもすごく難しい。

メディアは信用できないし、立場が違う以上、モノの見方が違う。

 

そういう混濁した社会に私たちは生きているのです。

単純に「良い」「悪い」ではないし。「表」と「裏」と言うのも違う。

では何が信じられますか?

「文は人なり」というけれども、作られた文章はただそれだけのもの。

(それは私の書くものもおなじです。だまされてはいけませんよ)

 

 

私は「人」だと思いたいです。

でも「人」は難しい。一筋縄ではいかない。

まず時間がかかる。

誤解もあるし、過剰な期待もある。

誠実な人もいれば誠実に見える人もいる。

こちらが信じれば応えてくれる人もいるし、どうにもならない人もいる。

近寄りすぎるとわからなくなる。

 

でもそういう社会に私たちは生きているのです。

 

その中で何か信じられるものが欲しい。

家族、友人・・・・・。

その一方で、所詮人は一人、とも思っている。

 

後悔のないように。

疑い過ぎないように。

頼りすぎないように。

 

どれもみんな難しいけれども・・・・。

 

ただ自分をどこかに連れていってくれるのは

自分の足ですから。

自分の足で歩いてみないとね!