井上さんの連載で興味深いものがありました。
長くなりますが、引用します。
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「演じていて感じるのは、とても演劇的というか、特に英国演劇の伝統がしっかり息づいていること。そのひとつに、ストーリーが途切れずに、流れ続けることがあります。
『ナイツ・テイル』はミュージカルですが、基本的に俳優が歌い終わったときにお客さまからワーッと拍手が来るような作りではありません。逆に、静かな曲でも拍手が来る演出というのはあると思います。例えば主役が正面に来て、周りの人が主役をぱっと指して終わったりすれば拍手が来るし、歌もジャンと終わると大きな拍手が来ます。でもジョンは、その終わりのジャンが「いらない」と言って、カットしてしまう。だから1曲終わっても俳優の動きは止まることはなく、そのまま自然に次の場面へとつながっていきます。
そういう演出を間近で見たり、ジョンは歌い上げる曲があまり好きじゃないことなどを考えたりすると、ジョンはストーリーが途切れないことを何より大事にしているのです。
稽古中にも、それを強く感じた出来事がありました。ジョンはいつも穏やかで、怒ったりもしないのですが、僕は1回だけ怒られたことがあります。
■「言葉を伝えてほしい」
最後の通し稽古のときです。実際の舞台上ではなく、稽古場に椅子を円形に並べて、そこで稽古をすることになりました。「この形だと、今までやってきた動きや振りはそのままできないし、やらなくていい。新しい気持ちでやってみよう」とジョンが言いました。僕は、「そうか。今日は自由にやっていいんだ」と思い、最初は普通にやっていたのですが、だんだんアドリブを入れてみました。本来は絡まない人と絡んでみたり、自分が歌わない場面で歌ったり。そうしたら、周りは大爆笑。僕も内心で「受けた!」と、調子にのっていろいろやっていたら、ジョンが突然「ノー!」と叫んだのです。そして、「真剣に物語を語ってください」と言いました。
僕はしゅんとなって、またいつものように稽古を通したのですが、それでジョンのやりたいことがよく分わかりました。どんな特殊な状況でも、しっかりとストーリーを伝えることが俳優の役割。それを徹底させるのが、ジョンの演出なのだと。
僕は勝手に自分の考える面白さを付け加えていて、稽古場だからそれも許されると思っていたのですが、ジョンはそれを許さなかった。「とにかく物語を語ってほしい。言葉を伝えてほしい」と繰り返し言っていました。
もしかしたら、それは日本と英国の芝居に対する考え方の違いかもしれません。日本では、何か面白くしようと役者なりに頑張ってみれば、それが芸と呼ばれ、評価もされるところがあると思います。僕にも大いにそういう面があります。でもジョンは、脚本通りに真剣に演じれば、それで自然に面白くなるんだというスタンスだし、実際にできあがった舞台もそうなっています。
その根底にあるのが、演劇は言葉で語るもので、ストーリーを伝えることが一番大事なのだという考え方。それは英国演劇の良き伝統でもあるのだろう、と感じています。」
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ここまで。
このことばを伝える、ここを光一さんはものすごく真面目にしている、と思うのです。ケアード氏の教えに忠実です。
ここがおそらく井上さんとの1番の違いではないか、と思っています。
それは井上さんとは違って初めての外部舞台であり、初めてのケアード氏であり、学ぼうという姿勢がとても大きいからだと思っています。
さらに誤解を恐れずに言えば、井上さんが非常にはっちゃけているように、とっても自由に演じているように最近見えるのに対して、光一さんは、その「自由度」においてはあまり変わっていないように思われます。
もちろん、歌声は一層出ていると思いますが。
そういう意味でも、アーサイトがブレないように、光一さんもブレない姿勢を貫いているように思うのです。
光一さんはいい意味で「新人」なのだなあ、と思うのです。
ですから、馴染んでいるようで、まだちょっと遠慮があり、ちょっと距離を測りかねているところがある、ように思われるのです。
で、そういう光一さんだからこそ、じっくりと進化し続けるのだろうと思うのです。
一つ一つを自分のものとして、学び、身につけながら、やってきたのです。
その行程があるからこそ、光一さんに惹きつけられ、次を待つ事に迷いがないファンでいられるのだと思っています。
「ナイツテイル」公演も、残り少なくなってきました。
この舞台が、大きな果実となって、きっと未来に繋がると信じています。
光一さんファンの幸せを噛み締めながら大千穐楽まで見守りたいと思います。