さて、本題です。
後半はオリンピックの話題から。
カーリングからのフィギュアの話。
靱帯損傷というのは克服まで「年単位」でかかるそうで。
これには驚きました。
そうなると羽生選手の頑張りが凄かったということが、改めて分かります。
怪我自体も大変ですが、心理的な恐怖を克服することはもっと大変なんだな、と光一さんが体験を通して語ってくれると良くわかります。
そしてこの言葉、
「大きな舞台だろうと小さな舞台だろうと、自分に表現できる以上のものなんて所詮出せない」
「大事なのはライバルの存在よりも、自分を見つめ、自分に何が足らないかをよく知ること」
ここで思い浮かぶのが
「僕には何もないから」という光一さんの言葉。
筋トレで身体と精神を鍛えつつ、体調も精神力で凌駕しようというある意味愚直なまでの光一さんの生き方を思うと・・・・。
器用ではないこの人が、ひとつひとつ自分の弱点と思うところを補ってやってきたこの18年は「SHOCK」があったからこそなんだな、とつくづく思います。
さらに振り返れば、もう大昔のことになりますが、キンキの二人旅の企画で、光一さんの「二人で舞台というのは?」をあっさり断った隣。
既にこの時点で、道は大きく離れ始めていたのだなあとも思います。
長い長い年月を経て、やっと巡ってきた「ジャニーズ」以外の舞台。
3年前からこの企画を立ててくださったという東宝さんに感謝です。
光一さんにとっては、新たな「弱点」の発見となるかもしれませんが、その弱点を克服することで、さらに進化した「堂本光一」に会えると信じています。
・・・・そうした光一さんの歩みを思い、この連載で光一さんの考えを知りながら思うのは、やはりキンキのこと。
昨年は特に、ここ数年とは違って(キンキにはあまり関わっていなくて、スタッフ任せというスタンスだと思っていましたが)隣の不調もあってフォローに回らざるを得なかったという状況は理解するものの・・・・、
なんだか妙に「背負ってしまった?」感があって戸惑っています。
20年もやってきたのですから、もう本当に十分です。
「堂本光一」のソロ活動だけを願ってずっと待っているファンの声も届いているはず。
来年は40歳です。
もう決断のときではありませんか?
最近Twitterで懐かしいこんなブログ記事がアップされていました。
2010年、8年も前の記事です。
当時、こんなふうに分析してくれる記事に感謝したものです。
なかなかこんなふうには書けません。
想いが余って、感情的になってしまうのですね。
でも8年経ってもこの状況は変わっていません。
それがなんとも・・・・。
こちらの記事です。
かなり長いです。
ご存知の方も多いでしょうが。