TwitterもInstagramも、Facebookも、LINEも・・・、
「SNS」といわれるものは個人の発言を発表できる便利な手段です。
私自身、光一さんファンとしての意見や考えを表現するためにアカウントを作っています。
中には発言の主旨によって複数のアカウントを作り、使い分けている人もいます。
それぞれに使い方はさまざまで、それはそれでいいと思っています。
ただ、発言のバックボーンは何か?ということは知っておくべきでしょうし、安易に「いいね」するべきではなかろう、とも思っています。
また、たいていの場合、その道の専門家というよりも、素人が「もっとも」と思う意見に賛同しているわけで、そういう意見には賛同を引き出すだけの説得力、もしくは人を惹きつける力がある、とは思うものの、自分も賛同するか、と言うとやや慎重になります。
つまり、「SNS」が全てではない、と思うからです。
たとえば、私の光一さんファンとしてのTwitterアカウントをフォローしてくださる方々がいらっしゃるのですが、時に政治的発言がずらっとリツイートされているのを目撃します。
それはある意味「今」の問題を指摘していることでもあり、多くの出来事に反応する視野をもっているのは素敵なことです。
逆に自分のように、限られた範囲のツイートしかしない、というのはよくないのかもしれません。
現在のコロナウィルスについても、過去の東北大震災のときでも、自分は光一さんファンとして言えること、言いたいことだけをツイートした、というよりも自分のブログで言ってきました。
Twitterは文字数が限られているので、部分的に切り取った発言になるのは不本意でもあるからです。
また、よくわからない分野について、未熟な自分には発言するだけの知識がない、と思うことも多いです。
また、ネットの発言や記事は、よく考えると意味のないもの、興味本位のもの、扇動的なもの、宣伝、偏見など、本当に玉石混交です。
ですから、そういうものは参考にはしても、全てではない、という視点が大事だろうと思います。
SNSで声高に叫ばない多くの人がいることを忘れてはいけませんし、時には「叫ばない」選択も必要だろうと思っています。
これは私のささやかな「一線」に過ぎませんし、人にお勧めするものでもありません。
実際、今、観劇のできない状況で、ネットの情報はとても貴重です。
嬉しい記事があれば紹介もします。
帝劇のInstagramの更新をいつも待っています。
ただ、自分も含めて、ほんのちょっとの「考える時間」を持つことが大事だろうと思いますので、それだけを自身の覚書として残しておこうと思います。