このごろ、質問されます。
Endless以前のSHOCKってどうでした?って。
Endless になったのは2005年。
それ以前にミレニアムからはじまった舞台があったわけです。
古いファンがよく使う『なんちゃって』舞台です。
でも今思うとジャニーさんが 帝劇という日本の最高の舞台で何を演じるかと考えたときに、少年隊がやってきたものが下敷きとなり、観客を楽しませることをまず考えて作り出した舞台であったとは思いますね。
光一さんを座長とした舞台の成功が、ジャニーズが帝劇を長期にわたって制覇する大きなきっかけとなったのです。
デビュー直後の光一さん人気を「うまく」利用したジャニーさんの目論見は成功したのです。
ただ光一さん自身が舞台をやりたいと思っていたことが、ジャニーさんにとって、また光一さんにとって、もちろんファンにとっても幸運でした。
堂本光一 東山紀之 今井翼 赤坂晃の4人がアイドル誌などの表紙を飾っていました。
やはりデビュー直後の光一さんが注目の的。
舞台のストーリーは自殺した兄が東山さん、光一さんが新たなカンパニーのトップスター。
ツバサはコウイチの義理の弟で事故でけがを負う。そのツバサを置いてコウイチはツアーに出かけ、それが原因でカンパニーが割れてしまう。
なんだかんだあって兄の亡霊は天国へ、カンパニーは元に戻ってゆく。
兄のゴースト、黒幕の「悪魔」の存在、途中のショーでさまざまシーンが登場。
このあたりに整合性がないところから「ジャニーさん的」とか「なんちゃって」とか我々は言っていたものでした。たのしみはラストのショータイム。光一さんが一人で歌うのはここしかなくて、それが見たくて聞きたくて。
帝劇12月から翌年1月に上演されました。
2002年6月にも。
ストーリーはほぼ同じ
コウイチとなくなった兄(コウイチの二役)、悪魔のたくらみ、ハムレットなどシェークスピアの舞台のシーン、すべては観客を楽しませたい、ということなんでしょうが、当時はこれどうつながるの?と疑問ばかりでした。
でも光一さんがいつも素敵でしたから。満足でしたね。
この辺りは、もうあまり覚えていなくてすみません。
白鯨とか竜神さまとか弁慶も?
結構和風のシーンが多かったような気もします。
ストーリーはほぼ変わりません。
あえて言えば「アドリブタイム」
「このブドウひとつぶどう?」知ってる人は同志ですね。
この年はなんといっても「リクエスト」できる場面というのがあって。
「新選組」「忠臣蔵」「曽根崎心中」とかいろいろ。
ただリクエストというよりうも日によって違うものが演じられたように思います。
こういう演出に限界を感じたのでしょうね。そろそろ新たな演出がもとめられていたのだろうと思います。。
2005年にEndless SHOCK が誕生します。その後「光一さんの新作」がずっと話題になっていたと思っていましたが、ウィキペディアを見るとこう書かれていますね。
2006年の『Endless SHOCK』で終了し、2007年からは光一が演出・構成・主演を務める新作舞台を上演する予定だったが、チケット14万枚に約208万件の応募が殺到した状況を受け、翌2007年の再演が決定した
その後もEndless SHOCK は続き、数々の記録を作って今に至るのです。
これは私自身の昔のブログ記事です。
この時の舞台レポからの引用などを載せています。
光一さん自身の言葉がやはり印象的です。
あらためてここにも載せます。このとき19歳です。
ミュージカルをやりたい!
と語っていた少年が今や帝劇の座長。
それも単独主演記録を更新中です。
ジャニーズが帝劇をホームシアターのように使えるのは光一さんが道を開いたからです。
満員を続ける集客力は光一さんならでは。
ですから、ジャニーズの後輩くんたちは、もっと帝劇に立てる幸せを感じてほしいですし、
もっと舞台を愛してほしいと思います。
光一さんは演出家としても作曲家としても多くを学びながら今も前進しています。
よりハードな魅力的なダンス
年齢に見合った楽曲
そういう座長だからこそファンは舞台に向かうのです。
20年以上もファンでいられることの幸せ。
これからもきっとずっと!!