大江健三郎さんの訃報に接し、思うことが少しありました。
それは普遍性とはなにか?ということです。
人の人生は短く、かつ経験や思考は限られています。
何が正しくて何が間違いなのか、「今」を生きるわたしたちにはわかりません。
三島由紀夫が自決したとき、ショックではありましたが、自衛隊に決起を促すその思考が私には理解できませんでした。
私が幼かったこともあるでしょう。
私はいわゆる「学生運動」後の世代ですし、おそらく「安保闘争」もあまりわからないまま、平穏に普通に青春を過ごしました。
ある時代の人々はいわゆる「東」に希望を持ちました。ソ連、中国、北朝鮮。
その当時の「希望」や「理想」を語ることは間違いだったのでしょうか?
私は極めて平和に生きてきましたからそういう「思想」とはあまり縁がありませんでした。
『時代の息吹』というのはおそらく青春時代をどう過ごし、何に興味を持ち、どう学んだかによって感じ方が変わってくるのでしょう。
大江さんは88歳でした.
多感な頃に感じたことを語るのは間違いではありません。
そういう若い時代を過ごした人は大勢いて、そこにはその時代の息吹があるのですから。
振り返れば。それぞれの人の人生には多感な日々があって、その時の思いがその後の人生を決めることもあるのです。
選択した人生はその人もの。
その人生を生き抜いた年月にただただ拍手を送りたいと思います。
・・・・コシノジュンコさんの「アキレス腱断裂」も気がかりです。
ご高齢でのお怪我は心配です。お元気なお姿を拝見できますように!!
やはり年齢を重ねることには「意味」があり、体験や経験、あるいは学習や伝聞によってでも様々に見方が広がるものです。
それが「年の功」かもしれません。
たいていのことは誤解や勘違いから生じ、落ち着いてみれば分かり合えるものです。
大事なのはわからないことをそのままにせず、せめて理解しようと努力することでしょう。
わからないことはたくさんあります。
が、時間はあまりにも短く、できることも少ないのです。
それでもたとえば今日の一日、明日の一日があるかぎり、できることもあるのです。
そういう時間があることに感謝したいですね!