「スピンオフ」とは何でしょう?
最も一般的な定義は、本編から派生した物語。
例えば、ドクターXにおける「ドクターY」
これは、加地先生の物語であって基本ドクターXは出てきません。
半沢直樹のスピンオフ企画は、吉沢亮くんが主役でした。
SHOCK-eternal -では三年後が描かれていますが、今かれらがどんな境遇にあるのかは描かれていません。
コウイチが入院した一年後、タツヤはショーを続けていましたが、オーナーの劇場に戻ってシェークスピアの芝居をしているメンバーもいました。
あれから三年。
あの時の様々な気持ちが語られても、では彼らは、今をどう生きているのか、そこは定かではありません。
ただ、三年後のコウイチがいない世界を、大変失礼ながら、タツヤ主演の物語で作ったとしても、私には魅力がないのです。
つまり「スピンオフ」ですらも、コウイチがいなければ、私にとっては成り立たないのです。
あのソリタリーの、タツヤが出トチリしないバージョンすら、特に見たくはなくて、あくまでもコウイチを見ていたいのです。
少なくとも私にとっては、コウイチありきの「endless SHOCK」であり、スピンオフであり、コウイチが存在しない舞台には、何の魅力もないのです。
コウイチ亡き後、彼らはかれらなりに、迷い悩みながら生きてきたでしょうが、それはもう「コウイチの物語」ではないのです。
そんな彼らの物語を求める人もいるかもしれません。
しかし、それは私の「Endless SHOCK」ではありません。
以前、「SHOCK」の継承ということが言われました。
私はその時も同じことを言いました。
それはコウイチの物語であって、誰かに継承されるものではない。
誰か別の人が、その人の物語を新たに作ればよいのです、
そのだれかと彼の物語を愛する人たちが、それこそ、新たな歴史を継承していけば良いのです。
私は光一さんを追い続けていきますし、光一さんの描くコウイチの世界を、見続けたいと願っています。
私にとっての「Endless SHOCK」は”コウイチの物語”なのですから。