どうも入院すると足腰が弱ることを実感します。
一昨年の骨折の時以上に、やはり年齢を重ねたぶんだけ衰えが顕著になっているようです。
だから「転んではいけない」と言われるのですね・・・と納得しても仕方ないのですが。
この間観ていた映画の中で、「衰えてからのほうが長い」というセリフがありました。
終活の映画でしたが。
人生100年ともなると、そんな気もします。本当に100年生きるとするならあと30年以上あるわけですから。
衰えてゆく自分を認めるとしても、その状態でまだまだ長い時間を過ごすのは幸せなことなのかどうか。
よくわかりませんが、一方で『幸せ」や「喜び」がなくてどうする?とも思うのです。
「幸せ」や「喜び」があってこその日々ではありませんか。
まあ、そのためにも、ここから少しづつリハビリしていかなければならないのですが。
できることなら、これからは『自分のために』過ごしたいと思いますし、その方が周りの人のためにも良いのだろうと思います。
日々衰える姿よりも少しでも楽しそうな姿を周りには見せるべきだろうと思っています。
そんなことを思いながら、記憶というものの不確かさを確認しています。
年頭の地震のニュースで、阪神の震災の記憶を振り返ってみても、例えば食事をどうしていたのか、洗濯は?などはほとんど記憶になくて、給水車から水を運んだことや、阪急電車の線路が波打っていたことなどを記憶しているくらい。本当に記憶というのは少ししか残らないのだなあと溜め息がでます。忘れる一方で覚えることもあるのでしょうが・・・。
ところでまだまだ余震もあって、大変な生活を送っていらっしゃる方も多く、改めてお見舞い申し上げます。
それとは別に、
最近感じる事なのですが、テレビを見る人が減ってその分の時間をネットに費やす人が増えた気がしています。
「ゲーム」然り「配信映画」然り。
と同時にいわゆる「ネットニュース」「YOUTOBE」「X」なども。
テレビや活字に変わって様々な情報が飛び交っています。
真偽に関わらず発信したもの勝ち、みたいな。
またそれを娯楽のように楽しみ意見を言う人であふれています。
つまりは新たな「娯楽」なのです。そうしてそれはとっても危険なことでもあります。
傷つく人もいますし、被害を受ける人もいます。発言することが「加害」になったり,思いがけない結果になることもあります。
自分の発言には慎重になるべきですし、簡単に付和雷同してはいけません。
情報は大事ですが、それを見極める目を持つことが一番大事です。
老婆心ながら最近の様々な「意見」には危惧を感じています。
もっと落ち着いて!!と思っています。