ジャニーズWEBのアプリが開けない、というので送ってもらって「SMGO」を確認しました。
光一さんの「SMGO」はいつも読むのが楽しみでしたが・・・。
・・・そうそう、わけのわからないものもありましたっけ。
でも、今回ほど内容のない、というのか、失望した「SMGO」はありません。
キンキの光一さんは別物と以前の記事で書きました。
しかし、この「SMGO」を読むと、別物、と言ってもいられない、と思いました。
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「新たな形を模索」
「お互いがお互いの良さというものを引き出し、それが合わさって今のキンキのライブになることを目指した」
これがキンキコンについての光一さんの考えですか?
つまりは今できることをする。
妥協の産物ですね。
確か、充分なパフォーマンスができない、という理由で前回のキンキコンは中止になったはず。
ですから、今後も「充分なパフォーマンス」ができない以上、もう再開はない、と思っていたところに、今回のキンキコンの決定。
あちらが会報であんな発言をしたうえでのキンキコンですから、光一さんが妥協せざるをえないだろうとは思いましたし、結果あちらが歌って光一さんが踊るようなものになったことも仕方無いとは思いました。
しかし、それを光一さんは
『お互いがお互いの良さというものを引き出し、それが合わさって今のキンキのライブになることを目指した』といいますか??
むしろ黙っていてくれた方が良かった。
キンキコンはスルーして、「SHOCK」やソロコンを語ってほしかった。
20年前の楽曲を当時のままステージで披露することが一番良いのか?そこは意見が分かれるところかもしれません。
が、先輩グループ、たとえばV6は当時のままの振り付けで踊れるとか。
キンキの場合、あちらが踊れないので、そもそもそういう選択肢がありません。
ですから、歌うだけになってしまう。
でも今回はその歌うことプラス「アレンジ」で楽曲までがあちら仕様になった模様。
キンキファンは、何でもよいのですから、昔の楽曲が変わってもかまわないでしょうが、そこで踏みとどまるのが光一さんではないでしょうか?
「お互いの良さを引き出す」ことと、
「あちらにアレンジを任せてあちら仕様の楽曲にする」ことは全く別でしょう。
そもそも互いのソロは持ち込まない、と言い出したのはあちらではなかったのですか?
ならば、ソロとは別の「キンキ」の表現を探すべきでしょうし、それができないなら、キンキコンはするべきではないでしょう。
「ジャニーさんの死がまだ受け入れられない」という状況があるにしても、光一さんはプロでしょう。
キンキコンをここまで妥協の産物にしていいのですか?
今、それぞれが「ソロ」でこそ、やりたいことができるのではありませんか?
あちらもそう言っていたではありませんか。
それならば、もうキンキは過去の思い出でいいでしょう。
この先、キンキで何ができますか?
あちらがアレンジした曲をあちらが歌い、光一さんが踊るのですか?
それが「良さ」を出し合うことですか?
「良さ」はソロで出せばいいでしょう。
また、ソロでなければ出せないでしょうに!!
光一クオリティーはどこへ行きましたか?
これほど「SMGO」に失望したのは初めてです。
残念ですが、そろそろ潮時なのかもしれませんね。
まだキンキになにか期待するのであれば・・・・。
少し気持ちは浮上していたつもりでしたが・・・・・。
光一さんが目指すものは何なのか?
しばらくは、静観です。