今回の観劇で印象に残ったシーン。
2幕、病院の窓を見上げる(ライバル)
去ってゆく(ライバルに)後輩くんが傘をさしだします。
後輩くんは自分の傘をさしていて予備にもってきた傘を差し出すのです。
(ライバルは)それを振り切って去ってゆきます。
そのとき「ほっといてくれ」なのかなんなのか、いろいろな思いがあるでしょう。
コシオカは自分がさしていた傘を差し出します。
ユウマは受け取って去ってゆきます。
「おいおい、それ受け取りますか?」
「コシオカ、濡れて帰るみたいですけど?」と内心突っ込むわけです。
・・・・で、なるほど、
それが「ユウマ」なんだな、と。
自分を責めながら、ちょっと甘えている?
コシオカが濡れるな、とは考えない?
つまりまだ未熟なんですね。
コウイチは憧れではあっても、追いつき、追い抜きたいライバルではない。
そういう設定なんだと思えば、「ユウマ」に求めるものは、ちょっと違ってくるかな、と。
もっと汗をかいて、もっと打ち破れ!
技術はすぐに進歩するものではないでしょう。
また、座長がパンフで言っているような「悲しみを抱えた」ユウマには見えない、と思います。
それなら、できることはこれも座長が言っていましたが、「エネルギーを爆発させること」でしょう。
「到達点」と言う前に、もっと全力で汗をかき、自分の殻を打ち破ることでしょう。
今の「ユウマ」の若さのエネルギーを、もっと舞台にぶつけたらいい。
せりふをうまく言うことでなく、気持ちを表したらいい。
舞台に納まるのではなくはみ出したらいい。
(かつての「ヤラ」の体中から湧き上がるようなエネルギーを思い出します。でも、あまり好きではなかったのは個人的な思い)
あと一週間、ユウマの全力がどれほどのものか。
見せてもらいたいと思っています。
確かにコシオカの傘が無くなったとは思いました。
今回の傘のシーンですが、去ろうとするユウマに無理にコシオカが傘を持たせてますね。
コシオカがユウマの顔を覗き込むようにして傘を握らせていたように思います。
有無を言わさずの感じだったかと。
傘の無くなったコシオカが呟く「コウイチ」余計に哀愁が漂い良いシーンになったように思います。
先日はお世話になりました。楽しかったです。
最近の優馬君の発言で、一番良かったのは、『ピルエットは難しい。』です。おー、やっと、ダンスの基礎が身に付いてないことに気づけたかと思いました。
同じ時期に、某グループの思いのこもり過ぎた歌を聞いて、ありゃー、痛いな、と思いました。感情に技術が追い付かないようにも思えました。
無難に纏まってると批判されがちな優馬君ですが、ただの実力不足だと思ってます。あの実力で屋良くん並の闘志ぶつけたら、物凄く痛いものになってしまう。
ピルエットが出来るようになったら、全力を出しても崩れない気がするのですが、どうでしょう?
次がどうなるか?次までどうするか?
それが、楽しみです。