テーマは「真面目にふざける」なんですが、これは前回のような光一さんソロ曲の話ではありません。
グループの新曲の話です。
なので、本屋さんで立ち読み。
この「新曲」には、カップリング曲がないらしいですね。
『これに相応しい曲が無かった』と光一さんが言ってます。
ある種の「ノリ」で発売を決めたそうで。
こんな形でジャニーさんの死を悼むことができるのは「カンサイボーヤ」だけかもしれないし。隠れた深い意味もある?し。
”真面目にふざけた”のだそうです。
ただね、”真面にふざけた”と言っても、「家のかたまり」とこの曲とは明らかに違うのです。
「名曲」だと認められてきた曲があって、この曲を光一さんが真面目に歌い、そこに突然コロナ禍だからこその歌詞が入ってくる落差。その楽しさは原曲の素晴らしさがあるからこそです!
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(278万回超え!)
Gの曲はGコンで披露された内輪のコミックソングとしか思えない。
というか、ここ数年のKinKiの存在そのものが、「ふざけている」としか思えない。
40歳を超えた大人の男性に、10代の頃のような『ワチャワチャ』感を求めるのもふざけた話ですが、そういうファンに応えようとするのもふざけた話です。
事務所、キンキスタッフの認識を疑います。
いわゆる『光一クオリティー』に拘っているのは光一さんソロファンだけかもしれませんね。
もはやキンキにそんな「クオリティー」は求めていませんし、むしろ今のようなキンキの存在を恥ずかしいと思っています。
今回の連載の後半で、光一さんは、ジャニーズの一連のチャリティー動画の中で、キンキが多くの部分を担っているのは一種の『老害』ではないか、と言っています。
この部分は光一さんのジョーク?かもしれませんが、そもそも「キンキ」の存在意義はどこにあるのか、考えてみて欲しいです。
光一さんソロファンとして、「待つ」ことは苦ではありません。
ただし、『光一クオリティー』を信じる気持ちがあるから待てるのです。
これが保てなくなったら、もはや「待つ」意味がなくなります。
そうなったら、残念ですが、光一さんを応援することはできなくなります。
光一さんに求めるものは「前進」と「進化」と「全力」
これがなくなったら「光一さん」ではありませんし、光一さんソロファンではいられないでしょう。
・・・今は8月の「ナイツテイルコンサート」の成功を祈っています。
さらに光一さんのソロライブを信じて待っています!!