このところ「次」の発表が無く寂しい日が続いています。
そんな時はソロコDVDなのですが、一通り見てしまうと・・・・。
なんでしょうね?
光一さんが言う「楽曲の可視化」
照明を含む舞台機構、ダンスのフォーメーション、ここでセンターに立つのはもちろん光一さんなのですが、演出的にはダンスのフォーメーションで魅せよう、というシーンなんですよね。
いわゆる「光一クオリティー」の表れですね。
ただ、こうしたDVDの映像と、ライブのソロコンでは当然ながら大きく違うものがあります。
その光一演出をある意味完成形から遠ざけてしまう臨場感、というのか、ライブ感というのか、ぶっちゃけ、合間のトークであったり、給水であったり、階段を上がる様であったり、
その他もろもろの生の出来事。
そういうすべてをソロコンでは楽しめるわけです。
後から発売されるDVDで、ライブでは十分に見られなかった舞台の全体像、つまり天井の照明、床の照明、ダンスの美しいフォーメーションなどを確認します。
その両方があっての「光一クオリティー」なのですね、私にとっては。
で、ソロコンDVDを見てもなお、今の寂しい気持ちや、ちょっと「やさぐれた」気分がなかなか回復しないとき・・・・。
今がそうなんですが、そういう時に見るのがあの、
「とびら開けて」なんですよね、光一さんと沙也加さんの。
これでものすごく癒されるのです。
どこへ行くかもわからない「やさぐれた」気持ちが。
とてもクリーンになる、というのでしょうか?
以前長瀬くんが、光一さんは自分に溜まった埃をパンパンと払ってくれる存在、でしたっけ?そんなようなことをおっしゃっていたと思いますが、私にとっては「とびら開けて」がそんな存在なんです。
光一さんの演出が「決まった」画像ではなく、そもそも舞台でもステージでもなく、いわゆる「楽曲の可視化」とも言えず。
この作品の登場人物として歌っている、というものでもなく、光一さんと沙也加さんが歌っているのですが。
この空気感がとっても心地よくて、ライブ感もあって。
作りこんでいない分、お互いに相手の歌を聴きつつ、歌っていて、その感じがとてもいいのですね。
この映像がこんなに心地よいというのは、いわゆる「光一クオリティー」とかダンスに捉われずに見ることができて、また光一さん自身もそこまで演出に拘らずに歌っているからなのでしょう。
つまりは、私は「光一クオリティー」の表れであるソロコンがもちろん好きなのですが、そういう最高の光一さんを愛でるには、こちらの受け入れ態勢も必要なわけで。
テンション高く待っているときなら何の問題もないのですが、今はちょっと・・・・。
そういうときには「とびら開けて」
これだなあ、と思っているのです。