日経エンタの連載は前半はFNSの話、後半がキンキコンについて。
で、キンキコンについては、
あちらができる曲をあちらがピックアップしたそうで。
小さなホールコンサートはあちらが拒否、キンキはドームで、とこだわったとか。
結局、できることをした、と。
つまり、曲作りはあちら、演出は光一さん。
「できること」となったら、それしかありませんよね。
連載のタイトルは
【キンキの新しい形を探して】
でも、【新しい形】を誰が求めていると言うのですか?
キンキファンはキンキキッズが見られればいいのです。
演出がどうであれ、踊っても踊らなくても、もしかしたら、歌っても歌わなくてもかまわない。
あちらの望むような【漫談】だけでもいいのかも。
つまりは、キンキキッズが見られればいいのです。
そんな【キンキファン】に対して、新たなキンキを模索する意味がありますか?
かれらはそれを望んでいないのに。
徒労ではありませんか‼️
タレントがファンを作り、ファンがタレントを作る、これはやはり真実です。
あちらファンがあちらを今にようにしてしまい、光一さんファンが今の光一さんを作ったのです。
今度「SHOCK」20年の記事展示会があるそうですが、光一さんの20年はそっくりそのままファンの20年でもあるのです。
光一さんの記事を見ながら、当時の自分を思い出し、どの席で舞台を観ていたか、どんな状況で、どんな感想を持ったか、思い出すのです。
光一さんが舞台に支えられたというなら、時間と費用をかけて舞台を支え続けたのはファンでしょう。光一さんの進化を信じ、何度でも舞台に通い、さらに高みを目指す光一さんを信じ、期待し、見守り続けてきたのです。
そうして「光一クオリティー」を信じて「ソロコン」に期待し待ち続けてきたのです。
ファンの期待を裏切らない「光一ワールド」を信じ、求めて、「次」のステージに立つ光一さんを信じ、求めて。
・・・・でも、今、失望とともに光一さんから離れようとする人がいることを知っていますか?
ファンが変化してしまったら、ファンが期待しなくなったら、未来はありません。
キンキファンの前で漫談でもしますか?
光一さんのそんな姿は見たくありません。
「SHOCK」の進化と、「ソロコン」で「次」の光一さんを見ることが ファンの喜びですが、光一さんは別のものを見ているのではないか?と思います。
それはジャニーさんの幻影?
舞台のセンターに立つ光一さんのパフォーマンスをジャニーさんも認めていたはず。
ならばその道を迷わずに進んでください!!
『光一クオリティー』の新たなステージを見せてください!!
あなたのファンは、それをしっかりと受け止め、これからもあなたを支え続けるでしょう。
それがファンの幸せですから。
そういうファンの存在が、あなたの幸せではありませんか?