光一さんのラジオです。
元旦で41歳。
戦国時代ならもうすぐ死ぬ、と言ってます。
回復力は落ちたけれども、体力は今のほうがある、と。
ただもうちゃんとしておかないと「小汚いおっさん」になってしまうので、寝ぐせやヒゲには気を付けているそうです。
・・・『小汚いおっさん』といえば、あちらを思い浮かべてしまうのですが、キンキのビジュアル偏差値を光一さんひとりが上げているなあ、といつも思います。
これがふたりとも『小汚いおっさん』だったら、いわゆる”キンキファン”もそれほどキンキを求めないのではないでしょうか?
ある意味、美しさもプラスマイナスがありますね。
光一さんの場合、「美しさも才能」と言われた人ですから特別ですが。
1998年の長野オリンピック聖火ランナーの記憶はあまりないそうです。とにかく忙しかった、と。
デビューの翌年ですし、私も神戸に光一さんを見にいきましたが、沿道のファンの多さにびっくり。はるか遠くに車から降りてきた光一さんをみつけ、走る姿も人波の合間から少し見えた、という状態でした。
聖火のレプリカ?は家のどこかにある、と言ってますが、かなり以前のラジオかインタビューでも同じことを言ってましたね。
そのときは、将来、子供にそれを見せて自慢できる、とも言ってましたっけ。
’98年、光一さん19歳でしたからね。
このころの記事を探してみました。
自分のブログの「昔語り」ですが。
たとえばこちら。
⇓ これは「下書き」だったものです。公開しましたが読めるでしょうか?ここに出てくる「掲示板」はもう削除していて今は残っていません。
しかも内容が「最も美しい~」と多少重複しています。
あれからずいぶん時間が過ぎました。
ちょっとしみじみします・・・・・。
この収録はクリスマス前だそうですが、そんな光一さんの声はこちらからどうぞ。