水曜日?の読売新聞を買いそびれてしまったのですが、ツイッターで「popstyleブログ」を知りました。
早速読んでみると、思った以上に濃い内容で、考えさせれられました。
前半はケアード氏の光一さんへのリスペクトが語られていて、光一さんの思いも含めて既出感のある内容だなと思ったのですが、2ヶ月の稽古期間が「足りない」という光一さんの言葉を受けてのケアード氏の言葉、
以下に引用します。
”会見でもいいましたが、演劇はPLAY(遊び)なのだから。何かすごい楽しいことをやるんだという思いを持ち続けた方がいい、あまり深刻になりすぎないことです。ピカソが言った言葉ですが、芸術は決して終わることはない。楽しく見放すという瞬間があるだけで、完成形はないという言い方をしているんですね。やれることやって楽しんでやって、はいもう終わりっていってやらないと、永遠に終わらない。ずうっとやり続けるということはしない方がいい。ずうっとやり続けることもできるけれど、どこかでやっぱり手放さなきゃいけない”
この言葉がものすごく腑に落ちた、というのでしょうか。
このごろ、「Endless SHOCK」の完成形ってなんだろう?
どこを目指すのだろう?
と思っていたので、「手放す」ことが、新たなスタートかもしれないと自分としては頷いたのでした。
光一さんが演出家として、「コウイチの物語」を作り続けて長い年月が経ちました。
そろそろ別の演出家に委ねたらどうでしょう?
舞台の真ん中に立つのはやはり「コウイチ」ですが、演者に専念して、演出をほかの方に任せるのです。
それは「ジャニー・演出」という呪縛からの自由にも繋がりますし、光一さんが「Endless SHOCK」の演出を続けることで陥っているように思われる出口のないスパイラルというのか、そもそも何が「進化」なのか?といった明確な答えがない問いからの脱出にもなると思うのです。
「Endless~」ではなくて、「SHOCK」の外伝のようなものでもいいでしょう。
キャストも「コウイチ」以外は、ジャニースから離れて。
一度「手放し」てみると、また見える景色が違ってくるでしょう。
その上で、光一さんが描きたい新たな「コウイチ」が見えてくるかもしれません。
「ナイツ・テイル」で光一さん自身が外部舞台の楽しさと恐さを知ることは、とても素晴らしいと思います。
その経験を踏まえて、舞台「SHOCK」もまた、委ねてみる。
困難も大きいかもしれません。
でも、得られるものもまた、大きいだろうと思います。
過去に因われずに勇気を持って新たなチャレンジに向かうことができる光一さんです。
そういう光一さんだからこそ、未来は可能性に満ちていると思います。
多くの困難なチャレンジの向こうには、きっと更に輝く光一さんがいるに違いない、と思っています!