還暦を過ぎると何となく「老いた」ような気がしてきますね。
人生100年、と思えば、60歳というのは3/5にすぎないけれども。まだ40年もある、と思うと長い。
つまりはそのあとは「老いる」だけなので。
70代80代90代・・・というのはちょっと怖い。
どう考えても「老人」であり「高齢者」ですからね。多少若作りしたところで無駄無駄。ごまかせない年齢ですよ。
誰かが言ってましたっけ。「坂道を降りてゆくだけ」って。
どうせ降りてゆくなら、それを楽しみたいものです。
降りることで見られる風景もある、かもしれない。
今まで気づかなかったことに気づかせてもらえるかもしれない。
段々できることが減ってゆくなら、残った「できること」をしながら暮らしてゆけばいい。
できないことを数えるよりも、できることを見つけてそれを役立てるほうが生活が楽しめる気がする。
まあ、ここまで生きてきたのだから・・・・。「老いる」ことも含めて味わい尽くしたい。
あとは楽しんで、したいことをして、自分らしく終末期をすごしてみたい。
そんなことを考えるのです。
何をするでもなく、ただ毎日が過ぎるのを眺めているのは嫌。
未来はどうなるのか誰にもわからないからこそ、今自分でできることはしておきたい。
・・・ただね、辛いのはやはり「未来」という言葉。
遠くの「未来」に自分は含まれていないし、もっと近い「未来」を考えると必ずあと何年かなあ、と思ってしまう。
その感覚はちょっと悲しい・・・・。
例えば30年後。私は98歳・・・・。生きていたとしても、どうなっていることやら・・・・・。
想像はピンからキリまでできるけれども。
ま、そういうことなんですよ。
となると、せめて「今」を何とかして楽しむ、あるいは意味あるものにしたい、と思うしかないわけで。
明日は晴れるかなあ。
とか、
そうしたらなにをしよう、とか。
可愛いイラストを眺めながらちょっと楽しくなる・・・・そんな日々。
でも勝手な話ですが、
時々寂しくなるのも事実。
そんなときに『同士』がほしくなったりする・・・・。
そんなものなのかもしれませんねえ。
大好きな光一さんの「未来」も、多分見届けられないのだろうなあ。
「願う」「祈る」ことはできても・・・・。