日経エンタ「エンタテイナーの条件」
私はこの連載かあって本当に良かったと思っています。
多くの方に光一さんのことを知ってもらえるから、というのもありますが。光一さんにとって自分の考えをまとめる貴重な場であること、さらにこれは聞書きでしょうから、そういう編集者に恵まれたこと、を本当に良かったと思うのです。
光一さんの作り出す舞台やステージは、照明、衣装、大道具、音楽、ダンスにパフォーマンス、すべてに意味があり連動しています。
緻密な計算のうえで成り立つ舞台は、ジャニー さんの「感じる」舞台とは真逆です。
光一さんは「Endless SHOCK」を作りながら、ジャニーさんとは違う自分を発見したでしょうし、ジャニーさんは改めて堂本光一という人物を知ったでしょう。
ジャニーさんは光一さんを面と向かって誉めなかったとしても、よそでは自慢していました。
光一さんはただ1人、ジャニーさんと並んで同じ空を見上げて、ジャニーさんとは違う表現を探し、納得できる「コウイチ」を作ったのだと思います。
根底にあるのは”SMGO”
ただし、光一さんも言うように、場面々々の繋がりを考え、意味のあるものに変えてゆくというのはある意味めんどくさい作業です。
ジャニーさん的な「感じる」舞台であれば、その手間は省けますし、演者はパフォーマンスに集中すればいいわけです。
それが出演者にとってもスタッフにとっても「めんどくさくない」方法だろうと思うのです。
ただし、「普通に」それを成り立たせてきたジャニーさんはもういません。
演者の持つエネルギーを頼りに舞台を成立させてきた『ジャニーさん的』手法を、他の人が使うのは難しいでしょう。
ですから、今回のドリボにしても、ジャニーさん的手法を残しつつ、限定的な手直しになったのだろうと思います。
おそらく光一さんには『ジャニーさん的手法」はジャニーさん独自のものであり、そこに手をつけたくはない、という思いがあるでしょうから。
光一さんは梅芸のパンフレットで、
「SHOCK」はジャニーさんが僕にくださった
という言い方をしています。
こちら。
そういう思いがあるから、時にジャニーさんの反対を押し切っても(「夜の海」の件のように)光一さんのやりたいように作り上げてきたのでしょう。
そこには光一さんの「舞台」への拘りがあります。
「光一的手法」があります。
舞台を好きになってほしいと後輩に望んでも、光一さんにはおそらくその思いを分けあえる人がいないでしょう。
デビューを夢見て、人気者に、アイドルになりたい少年たちには、舞台はおそらく一過性のものにすぎないでしょうから。もちろん例外もいるでしょうが、それは未来のこと。
座長としての孤独や責任、それは井上さんと分けあえるとしても。演出家としての視点、さらにはコストまで考慮して舞台を作るところ、そのうえで結果をだすところは、光一さんならではでしょう。
そういう光一さんの手腕を、ジャニーズ事務所が今こそ利用しようと考えるのは当然と言えば当然です。
ジャニーさんの舞台をなぞってきた滝沢くんにはできないことですから。
この滝沢くんとの違いについて、光一さんはこう言っています。
光一さんは人を貶めない人ですし、私が思うよりもはるかに滝沢くんを良く思っているのでしょう。
ここに「事務所の思惑」が出てきます。
これまで放置していたのに、連続公演の記録や光一さんの演出家としての力量を、これから売り出そうとする若手に対して利用する。
いかにもあの事務所らしいやり方です。
事務所にとっては大事なのは、ジャニーさんの名前と、演出・堂本光一という宣伝、
光一さんの孤独は続くのでしょう❗️
ただし、「ナイツテイル」を実現させた光一さんです。
外部舞台出演という「高い壁」を乗り越えてきたのです。
光一さんは最新の日経エンタでは、もう後輩の指導はしない、とも言っていますね。
いえ、「自ら進んで」は行かない、と実際には言っていて、私の願望とはやや違うのですが・・・。
これは光一さんの本音だろうと思いますし、拘るべきところについては、頑固になれる人です。
(それが自分のクレジットや権利についてではない?のが残念)
ですから時間はかかっても、何とか道を切り開いてゆくのだろうと思います。
そこを信じて、まだ「待てる」と思っています。