今、この時期、いろいろな事を考えます。
そうして、思うのは、光一さんが一番やりたい事は何だろうか?ということです。
いつも、目の前の仕事に全力を尽くす、と言いますよね、
それはよく分かります。
ですから、SHOCKの稽古と後輩くんの指導と、いろいろ重なっても、全力を尽くしたのでしょう。
エンタの連載でも、またオファーがあったら後輩くんの指導に行くかも、と言っていましたね、
キンキコンについても、決まった以上は全力を尽くすのでしょう。
ただし、グループのメンバーがあちらですから、「全力」がどんな方向に向かうのか、辛うじてステージを保つだけ、といったところになるのかもしれません、
ここ数年のキンキをみれば、(みていないけれども)立って歌うだけのようですから、コンサートにそれ以上を求めても仕方ないでしょう。
キンキはジャニーズでは前例のない、歌うだけのグループになったのです。
ただ、そういうキンキの仕事は、光一さんにとって全力を尽くす意味のあることですか?
たとえば岡田くんには俳優としてジャニーズのくくりからは離れたところで認められたい、という大きな目標があるでしょう
錦戸くんは、アイドルとして、俳優として、またバラエティ番組等で人気者になることよりも、自分の音楽に拘ったのでしょう。
光一さんの拘りは舞台ですか?
20年を迎えるSHOCKは、光一さんを支えてきた舞台でもあります。
まさにライフステージ、ライフワークでしょう。
しかし、それは最初はジャニーさんが、のちには帝劇(東宝)が望んだ「仕事」となり、もちろん光一さんは「全力を尽くす」ことで応えてきたわけです。
「SHOCK」は毎年上演され、記録も伸ばしてきました。
「ソロコン」も結果として3年ごとに行われてきましたが、それはスタッフの「そろそろ・・・・」と言う言葉に促されたもの??
ファンというのはある意味「盲目」ですし、「あばたもえくぼ」です。つまりは「光一さん」ならなんでもいいのです。
ドラマも喜びますしもちろん劇場にも行きます。
それが初期の「SHOCK」でも、です。
「ショータイム」も楽しみますし、それが無くなっても文句はいいません。
次の「Endless SHOCK」があったからです。
毎年必ず劇場に向かい、1公演だけではなく、2公演3公演と舞台を観るファンによって「SHOCK」は支えられてきました。
そこに光一さんがいたからです。
ごくシンプルに言って、それだけでいいのです。
ただし、少なくとも私にとっては本当に見たいものは「ソロコン」でした。
あの最初の「ソロコン」の感動と嬉しさ。
これこそが光一さんの真骨頂だ!!という思いは今も少しも変わりません。
ですから、ソロコンを待ちながら「SHOCK」を観るという日々が続いてきたのです。
しかし、もう4年、「ソロコン」はありません。
光一さんの時間もファンの時間も無限ではないのです。
有限の時間の中では、何を優先するべきか?みんな考えるのではありませんか?
ファンにはファンの時間が流れていて、生活の中では、だれもが優先順位を考えながら生きています。
だからこそ、
次第に「盲目」ではいられなくなり、「あばたもえくぼ」でもなくなり、しっかりと目を開いて現実を見るようになるのです。
目の前の仕事に全力を尽くす、それが光一さんです。
そこは理解できます。
でもそれは仕事の選び方としては「受け身」ということにはなりませんか?
もちろん「仕事」ですから、好きなことばかりはできないでしょう。
しかし、
滝沢くんに依頼されたら後輩の舞台の演出補佐にあたり、事務所に言われたら後輩のコンサートのお手伝い、キンキコンがある、となったらキンキファンのために何ができるかを考える。
もちろん来年が決まっている「SHOCK」のこともいろいろ考えているでしょう。
・・・・では「ソロコン」は??
スタッフが「やりましょう」といわなければ行われないのか?
それともまだまだ「ソロコン要望」が足りないのか?
どこまでも「ソロファン」は後回しなのか?
「優先順位」というのは、つまりは「オファー」された順番ということなのか?
そこに光一さんの「やりたいこと」の順番はないのか?
今、目を開いて、光一さんのすることをファンは見ています。
我儘なファンでいたかったけれども、ファンの思いは信じて待てば叶う、と思っていたかったけれども、そもそもファンって何?と疑問を持ち始めてもいるのです。
光一さんができない約束はしないことは分かっています。
来年の「SHOCK」のいつもより早い発表も、今年限りで「SHOCK」を去る方たちへの光一さんの気持ちの表れでしょう。
それは理解しています。
・・・・でも、「ソロコン」については、ひとこともありません。「やらない」という言葉もありません。
長く待ちすぎると、心の灯は小さくなり、消えてしまうのかもしれませんね。
3年ごとであっても「ソロコン」はファンの心を熱く燃やし、その温かさで、気持ちは満たされて、次を待つエネルギーを生み、ファンはファンでいられるのです。
「SHOCK」の大ファン、と言う人もいるでしょう。
でもわたしは違います。
光一さんに会うために(ほかでは会えないから)劇場に行きますが、「ソロコン」ほどの満足感は得られません。
そうして、今、疑問は大きくなるばかりです。
そもそも「ソロコン」をする気が光一さんにはあるのだろうか?
光一さんが一番したいことは何なのか?
「ソロファン」の存在と「ソロファン」の気持ちは伝わっているのだろうか?
こういう質問に答えはないのでしょうか?
ファンは、ただ「信じて待つ」だけなのでしょうか?